資本主義の体温計「信用乗数」が語る未来
現代経済を読み解くうえで、「信用乗数(マネーマルチプライヤー)」はまさに資本主義の“体温計”といえる存在です。
銀行が中央銀行マネーを元手にどれほど信用(貸し出し)を創造しているかを示すこの指標は、資本主義経済の健康状態を映す鏡でもあります。
信用乗数とは?
信用乗数とは、中央銀行が供給するマネタリーベース(現金+中央銀行当座預金)に対して、どれだけのマネーストック(広義の通貨供給量)が創造されているかを示す比率です。
銀行が預金の一部を貸し出すことで連鎖的にお金が生まれていく“信用創造”の度合いを数値化したものであり、経済の血流を測る有力な手段とされています。
信用乗数 = マネーストック(例:M2) ÷ マネタリーベース
先進国の乗数低下と資産市場のゆがみ
ところが、この信用乗数、ここ20年ほどの先進国では右肩下がり。日本、米国、欧州を中心に、金融緩和によってマネタリーベースが膨張する一方で、実体経済への貸出は鈍く、結果として乗数は低下しています。
信用創造の力が衰えていることを意味し、資本主義の根幹にある金融仲介機能にほころびが生じているとも解釈できます。
それでも市場にあふれる資金は、株式、不動産、そして金(ゴールド)といった資産市場に向かい、皮肉にもバブル的な価格上昇を招いています。経済成長が伴わない資産インフレは、実体経済との乖離を一層深めています。
新興国の信用創造と揺らぐ信頼
一方で、新興国――インド(5.6倍)、インドネシア(6.0倍)、ナイジェリア(23.7倍)などでは、信用乗数は依然として高水準を維持しています(国名の後ろのカッコ内の数字は25年6月現在の信用乗数、各国中央銀行公表データより)。
銀行が中央銀行マネーを元手に、企業や個人への貸出を積極的に行い、実体経済との連動が保たれていると見ることができます。
しかし、その新興国でも、不安の芽は顔を出しています。政情リスク、通貨価値の不安、そしてドル依存からの脱却といった問題意識が強まり、中央銀行や個人が金(ゴールド)を価値保存手段として選好する傾向が強まっています。
信用乗数は高くとも、“信用”そのものへの不安が、金という実物資産への回帰を促しているのです。
世界的な信用乗数の低下が示す未来
では、もしこれらの新興国においても、先進国と同様に信用乗数が低下していったらどうなるのでしょうか? そのとき、資本主義経済の推進力であった信用創造のエンジンは、世界的に冷え込むことになります。
マネーが循環せず、実体経済への刺激が届かない構造が地球規模で定着する――それはまさに、資本主義モデルそのものの転換点かもしれません。
このような状況を「資本主義の終焉」とまで表現するのが、法政大学教授、経済学者の水野和夫氏です。彼は著書で、低金利時代における信用創造の限界と成長モデルの終焉を繰り返し警鐘として鳴らしています。
同じく、慶應義塾大学名誉教授の金子勝氏も、過剰な信用創造と金融依存経済のゆがみを「金融資本主義の末期症状」とし、持続可能な制度設計の必要性を説いています。
そのほか海外でもアメリカの経済学者マイケル・ハドソン氏(ミズーリ大学教授)は、債務主導型経済の限界と、実体経済への信用供給の不足が引き起こす「金融資本主義の行き詰まり」を指摘、ヌリエル・ルービニ氏(NY大学教授)は、信用創造とマネー乗数が金融危機や資産バブルと密接に結びつくことを複数の論文で分析し、資本主義の“修正”を主張しています。
金が静かに語りかけるもの
こうして見ると、信用創造という回路に綻びが生じるなかで、人々や国家が金という“古くて新しい資産”に目を向けるのは、時代の必然かもしれません。
もはや金本位制の時代ではないとはいえ、実物としての価値、信用を介さない普遍性、そして無国籍通貨としての存在感が、経済の不確実性に対する“最後の拠り所”となりつつあるのです。
資本主義の終焉を断定するには時期尚早ですが、その土台を支えてきた信用創造にほころびが見え始めた今、「次のかたち」を模索するフェーズに、私たちは静かに入りつつあるのかもしれません。