通貨覇権の転換期に輝く「金」― 金が再び“信頼の基礎”になる日は近いのか ―
序:ドル基軸体制に広がる黄昏の気配
第二次世界大戦後、アメリカの圧倒的な経済力と軍事力を背景に築かれたドル基軸通貨体制は、80年近く世界の金融秩序の中核を担ってきた。国際貿易の決済、各国の外貨準備、さらには石油や穀物といった戦略物資の価格決定通貨として、ドルは“世界の水”のような存在だった。
しかし近年、その覇権構造に亀裂が走っている。米国の双子の赤字、過剰なドル発行、金融制裁の濫用、そしてウクライナ戦争後に顕著となった通貨の“兵器化”。こうした背景の中、各国は「ドルの代替」へと目を向け始めている。
金融アイス9:秩序ある崩壊か、連鎖的フリーズか
米国人作家カート・ヴォネガット(1922-2007)の小説『猫のゆりかご』に登場する架空の物質「アイス9」は、ひとたび触れた水をすべて凍結させてしまうという性質を持ち、連鎖的に世界を凍らせる脅威の象徴として描かれている。
これを金融に当てはめたのが経済評論家であり作家のジム・リカーズである。彼は「金融アイス9」を、金融市場の一部が凍結されることで流動性が連鎖的に消失し、預金封鎖、資本規制、取引停止などが世界中に広がるシナリオとして著書の中で描いている。『The Road to Ruin: The Global Elites’ Secret Plan for the Next Financial Crisis(破滅への道:次の金融危機に対する世界エリートの秘密計画)』の中で、①株式市場の停止→投資家が資金を引き揚げに走る、②MMF(マネーマーケットファンド)の凍結→次の逃げ先を求めてATMに向かう、③銀行の凍結→最終的に金融システム全体が“凍結”状態になる。単なる一部市場の混乱ではなく、逃げ場がなくなるまで資産クラスが順次無力化されていくプロセス、通貨・資産・信用の連鎖崩壊を象徴するハードクラッシュ型の危機が描かれている。
この構造のもとでは「分散・アクセス手段の多様化」の必要性と「逃げ場として実物資産、すなわち金(ゴールド)」が最も信頼される資産として浮上する。
金が通貨として選ばれる理由
金は、国家の信用に依存せず、債務リスクを持たず、物理的に保有でき、インフレにも強い。何よりも、数千年にわたり人類が“通貨”として用いてきた歴史がある。これはドルやユーロ、人民元が持ち得ない圧倒的なレガシーである。
アイス9的な事態が起これば、政府や中央銀行の介入で凍結される金融資産から逃れようとする動きが強まり、最終的に「誰の信用にも依存しない通貨」=金への資本逃避が集中するだろう。金価格は、そのとき単なる商品ではなく、“最終通貨”としての価格形成へとシフトしていく。
だが、混乱なき基軸通貨の移行は可能か?
では、ドル覇権の終焉は必ず混乱を伴うのか?
必ずしもそうとは限らない。“アイス9”を回避した通貨体制のソフトランディングは、次のような段階を踏めば理論的には可能だと考えられる。
1.通貨多極化:ドル、ユーロ、人民元、金などが併存する多極的構造へ。
2.決済システムの分散化:SWIFTに代わるBRICS系インフラ(CIPS等)の実用化。
3.準備通貨の分散と金裏付けを一部含む通貨バスケットの導入(SDR強化やBRICS通貨など)。
4.中央銀行の金準備拡大→信認担保としての役割強化
5.米国の“基軸からの降板”の戦略的選択:影響力を維持しつつソフトに退場。
6.国際協調による新体制(ブレトンウッズ3.0):新たな通貨バスケットの創設。
このようなプロセスが10年単位で段階的に進行すれば、ハードクラッシュではない通貨秩序の転換もあり得る。そして注目したいのは、ソフトランディングシナリオでもやはり金(ゴールド)は重要な役割を担うことになるだろうということだ。
金本位制は復活するのか?
「金本位制の復活」という問いに対し、純粋な意味での1オンス=定額紙幣兌換制度への回帰は、ほぼ不可能だ。理由は単純で、世界の貨幣供給量に対して金の在庫は圧倒的に少なすぎる。
しかし、「金を裏付けとした通貨制度の一部復活」ならば、十分に現実味を帯びる。実際、BRICS諸国では金や資源を裏付けとする共通通貨構想が浮上しつつある。
金は「危機の避難所」であり、「次の秩序の土台」でもある
金は単なる「安全資産」ではない。それは、金融危機では“最後に逃げ込む場所”となり、通貨秩序の転換では“新たな信頼の基盤”となる。
●アイス9のような凍結型クラッシュ → 金への資本逃避が殺到し、価格急騰
●ソフトランディング型の移行 → 金が通貨バスケットやCBDC裏付けとして正式な役割を持つ
つまりどちらの未来でも、金の価格は「リスクの反映」だけでなく、「新しい秩序の前提」として上昇することが期待できる。
終わりに:信頼の基礎を誰が握るのか?
通貨とは、「信頼の器」である。ドルが長年世界の基軸であり続けたのは、その背後にある米国の金融制度、軍事力、法治、情報発信力への信頼があったからだ。
だが、今その信頼は徐々に毀損しつつある。今後10年、私たちは「通貨が信頼を失う時代」を通過することを覚悟しなければならないだろう。
世界が凍りつくか、静かに解けていくか—
次に「信頼の錨(anchor)」を握るのは誰なのか。
いずれの未来においても、それは、国家ではなく、「国に依存しない通貨」=金である可能性がある。しかもそれは、中央銀行のバランスシートの片隅ではなく、新たな通貨体制の中心的存在として戻ってくるかもしれない。
「ドルは国家が保証する信用の通貨。金は人類の記憶が保証する信用の通貨。」
もし世界が“氷結”を避ける道を選ぶなら、その「融解の中心」に金があるという未来は、決して絵空事ではない。