幻想通貨と黄金の逆転劇──500年前の『ユートピア』が現代に問いかけるもの

トマス・モアと『ユートピア』って?
16世紀のイングランドに、トマス・モアという思想家・政治家がいました。
彼は法律家として国王に仕えながらも、時に王政を批判し、最終的には信念を曲げずに処刑された人物です。
そんな彼が1516年に書いたのが『ユートピア』という風刺的な書物です。
ラテン語で「どこにもない場所」という意味のこの本では、想像上の島国ユートピアで、人々が平等に暮らし、私有財産を持たず、金(ゴールド)は奴隷の首輪や足かせ、便器の素材として使われ“価値のないもの”として扱われています。
トマス・モアが生きた16世紀初頭のイングランドでは、「囲い込み(enclosure)」によって農民が土地を追われ、都市に流入することで貧困が急増していました。「羊が人を食っている」とまで言われ、土地の私有化が人々から生活基盤を奪い、貧富の格差が広がっていました。
そんな時代に、金に価値を見出して争い、支配し合う現実社会への皮肉と警告が込められていたのです。
カネが軽くなりすぎた時代に、重さを取り戻す動き
あれから500年。私たちはまったく逆の世界に生きています。
貨幣(カネ)はもはや、金や銀の裏付けすらなくなり、「不換通貨」として政府や中央銀行の裁量ひとつでいくらでも発行できる時代です。
手元にあるのはただの紙や、スマホに表示された数字。実体なき通貨が膨張する社会に、私たちは今、生きています。
そんななか、再び見直されているのが、あのモアが「虚栄と欲望の象徴」として描いた金(ゴールド)です。
皮肉なことに、人の手と自然の時間を必要とするゴールド――重く、希少な現物資産であるそれが、いまや通貨より「信頼できるもの」として改めて受け入れられつつあります。
金に戻るのは「後退」か、それとも「警鐘」か?

現代で金(ゴールド)に注目が集まるのは、退行というより、ある種の“反省”からかもしれません。
あまりにも自由に、好きなだけ作られてきたカネの世界では、いつしかルールや倫理までもがぼやけてしまいました(実質的財政ファイナンスや量的緩和etc.)。
それに比べて、採掘や保存に人の手間と自然の時間がかかる金(ゴールド)は、「限界がある」という当たり前の事実を、もう一度思い出させてくれます。
金に価値を置くことはもはや貪欲ではなく自衛なのです。かつて「欲望の象徴」としてモアに嘲笑された金(ゴールド)が、いまや膨張する幻想経済に対するブレーキとして再評価されています。
終わりに:価値とは何かを考え続けるために
トマス・モアが500年前に描いた『ユートピア』は、「人間は何に価値を置くべきか?」という問いを、風刺の形で私たちに残しました。
不換通貨が主流となり、幻想のごとく膨らむ数字が富を決める時代にあって、あえてゴールドのような“重く、不便なもの”に手を伸ばす人がいるのは、単なる退行ではありません。
それは、「このままでは危うい」と、どこかで本能的に感じているからでしょう。
500年前のモアの問いは、時を越えて、私たち一人ひとりに改めて「何を信じるべきか」と問いかけているのかもしれません。

