インフレ期待の高まりに思う

インフレ期待の高まりに思う

(金融・貴金属アナリスト) 亀井 幸一郎
2021年7月19日

 

米消費者マインドの急低下

米国のインフレの上振れが消費者のセンチメントに影を投げかけている。7月16日に米ミシガン大学が発表した7月の消費者信頼感指数(速報値)は80.8と6月確報値の85.5から大幅に低下し、2月以来5カ月ぶりの水準に落ち込んだ。市場予想は86.5に上昇を読んでいたことから、予想外の落ち込みということになる。6カ月後を占う期待指数も83.5から78.4に低下し、2月以来の低水準となった。つまり、総合指数とともにバイデン政権による1人当たり1400ドルの給付金に象徴された1.9兆ドルの米国救済プラン(アメリカン・レスキュー・プラン)の実行前の水準に戻ったことになる。

ロイターが報じるところでは、「住宅や自動車、家庭用耐久財の値上がりに対する消費者の不満が過去最高水準に達した(ミシガン大学の調査部門ディレクター)」とされる。物価上昇への懸念が個人の経済回復の見通し(センチメント)に影を投げかけている。直近で主要3指数ともに過去最高値の更新を続けてきた米国株式だが、このデータ発表(7月16日午前10時)を受けて3指数ともに売りが先行する流れに転じ、前日比マイナス圏に落ち、終盤に向けて下げ幅を拡大した。もともとバリュエーション(投資尺度)の高さに対する警戒感があるところに、米国内でも新型コロナ・デルタ株の感染拡大など、景気の先行きに対する不確実性が高まっていることがある。個人のマインド指数の低下は、消費の先行きに影を投げかける。この点で週明け7月19日の米国株式市場の動向が注目されたが、大きく続落となった。前週末の地合い悪化(リスクオフ・センチメントの広がり)に、新型コロナ感染拡大が再び懸念材料として加わったことがある。

インフレ見通しは13年ぶりの水準

7月の消費者信頼感指数に話を戻すと、1年後のインフレ見通しは4.8と前月の4.2から上昇、2008年8月以来の高水準を記録した。興味深いのは、この「2008年8月以来の高水準」という部分だ。同じ週の7月13日米労働省が発表した6月の消費者物価指数(CPI)は前年同月比5.4%上昇と、前月の5.0%から加速し、やはり2008年8月以来、約13年ぶりの大幅な伸びとなった。
記録的な物価上昇が見られていた2008年8月はどのような環境だったのか。
一言で表すならば代表的な商品指数ロイター・コアコモディティCRB指数が400ポイント近辺で推移していた、世界的に商品相場が高騰に沸いていた時代だった。前月7月には代表的な原油銘柄WTIが過去最高の147.27ドル台まで買い上げられ、CRB指数も471.76ポイントの過去最高値を記録していた。2000年のITバブル崩壊に対する景気底支えを意図した米連邦準備理事会(FRB)の劇的な低金利政策への転換と通貨供給増が、グローバル化の流れに乗って中国、インド、ロシアなど新興国経済を押し上げ、いわゆるBRIC‘sブームに帰結するのだが、いずれも人口大国ゆえに穀物から非鉄金属、エネルギーに至るまでコモディティ相場の底上げにつながっていた。そこに投機マネーが流れ込み、上昇を加速させていた。中国による「資源の爆喰い」などと表現されていた時代のことだ。当然ながら消費者心理もインフレバイアスが掛かることになる。

13年前とまったく異なる物価上昇の内容

人は将来を見るにあたり足元で起きている現象の延長線上で物事をとらえようとする。いま足元でCPIの高進に刺激され同様の消費者心理の動きが見られている。統計上は13年前と似たような物価上昇なのだが、多くが既に気付いているように内容が大きく異なる。特定品目の特異な上昇が全体を押し上げている。
その代表例がこの春から続いている中古車・トラック価格(以下、中古車)の急騰だ。前年同月比では45.2%上昇と、上昇率は過去最大。6月のCPI上昇分の3分の1以上が中古車によるものだった。直近の上昇の勢いを見る上で注目される前月比の数値も、10.5%上昇と1953年1月の統計開始以来の大幅な伸びとなった。

こうした状況は、まさにパウエルFRB議長が指摘するように「(新型コロナ禍からの)経済再開に直接結びついた、わずかなモノやサービスにとどまっている(7月14日下院での証言)」わけで、一時的という判断となる。「一時的」の時間軸は、目先の2~3カ月でなく2022年1-3月期位を見通してのものだろう。

この春には話題性のある木材価格の高騰を取り上げ、インフレ時代の到来を吹聴する向きもいた。住宅需要の高まりからくる需要増に生産現場の人出不足から供給を満たせないという各業態に広くみられるサプライチェーン問題に付け込んだ、投機マネーの流入が価格の上振れにつながった。1000ボードフィート当たり1600ドルを越えていた価格は、足元で半値以下の700ドル台に沈んでいる。コロナ禍がもたらした環境変化をきっかけにした急騰だが、それを構造変化と誤認したところで見通しに誤りが生まれる。
 思えばインフレ期待が高まった2008年8月だが、翌月にはリーマンショックが発生。7月に147ドルしていたWTIも11月には32ドル台まで暴落状態となったのだった。

デフレ環境を警戒するFRB

週明けの市場では、新型コロナウイルス・デルタ株の世界的な感染拡大懸念により市場はリスクオフの度合いを深めている。ウイルス克服への工程は平坦でないことはFRBも想定済のことで、早晩落ち着くのだろう。パウエル議長の一連の発言から思うのは、インフレよりむしろデフレ環境への警戒の強さということだ。資産価格とりわけ住宅価格の高騰を米財務省(イエレン長官)もFRBも問題視し始めていることから、テーパリング(資産買入の縮小)論議は進めると思うが、前回2013年当時のような経路をたどらないものと思われる。したがって金が大きく水準を切り下げることはないと思う。

マーケット・ストラテジィ・インスティチュート代表取締役
金融・貴金属アナリスト亀井 幸一郎(かめい こういちろう)氏
亀井 幸一郎(かめい こういちろう)氏

1979年中央大学法学部卒業。山一證券入社
87年投資顧問会社MMIにて証券および金市場分析レポートを担当、92年国際的な金の広報調査機関ワールドゴールドカウンシル入社。企画調査部長として経済調査、金市場のマーケット分析に従事。1998年独立し分析、評論活動に入る。「史観と俯瞰」をモットーに金融市場から商品市場、国際情勢まで幅広くウオッチしている。日本経済新聞、日経ヴェリタス、日経CNBCテレビ、ラジオNIKKEI等でのコメント、市場分析のほか、時事通信社「アナリストの目」「Gold Daily Report」、日本金地金流通協会ウェブサイト、市況解説など定期寄稿中。