分断化される世界と「新有事の金」

分断化される世界と「新有事の金」

(金融・貴金属アナリスト) 亀井 幸一郎
2022年4月4日

 

フルに織り込めない地政学的要因

ウクライナ情勢について金市場では一定の織り込みが進んでいるものの、地政学リスクは不測の事態発生もありえ、フルに織り込みが進んだとも言えないのが現状となっている。停戦協議が開かれ楽観的な報道が見られては金は売られ、それを追いかけるように軍事的活動が報じられると、すぐに買い戻される展開が続いてきた。そもそも2014年のクリミアの不法占拠に始まり、双方ともに主張がかみ合わない。にもかかわらず、停戦をめぐり楽観見通しが流れるのは、「こんな展開になってくれればいい」と考える「願望バイアス」が掛かることによる。

金価格に乗ったリスクプレミアムは持続

ウクライナ開戦から1カ月以上経過した3月29日、NY市場の金先物相場(以下、NY金)は一時1893.20ドルと1900ドル割れを見ることになった。この日、トルコのイスタンブールでウクライナ、ロシア双方の代表団による対面での停戦協議が3週間ぶりに行われた。ウクライナ側が北大西洋条約機構(NATO)への加盟の断念など、一定の譲歩を示したと伝えられる中で、会談終了後の時間帯にロシア国防省が、ウクライナの首都キーフやその北部での軍事活動を縮小すると発表。
発表のタイミングから停戦協議が前進したとの受け止め方が市場に生まれ、安全資産としての金や米国債に売りが出た。ファンドのアルゴリズム(コンピュータープログラム)がニュースのヘッドライン(見出し)に反応し売りに傾いたものと思われた。ただし、金の1900ドル割れは旺盛な押し目買いに拾われ、長くは続かず(2時間ほど)1900ドル台に復帰当日の終値(清算値)は1918ドルとなった。四半期末となった3月31日は1954ドルで終了。月間ベースでは2.8%、四半期ベースでは6.9%の上昇となった。その後、この時のロシア軍の戦線縮小は、ウクライナ東部ドンバス地域の軍事活動に戦力を集中投下する戦術転換と判明。
客観的にはウクライナ危機は次のステージに移り、少なくとも首都キーフの陥落からウクライナ主要都市をロシアが占拠する構図は後退し、落としどころを探る状況に転じたということだろう。それでも決着までに相応の時間がかかるとみられ、金のみならず市場全般への影響は残ることになる。1900ドル割れは買いで反応する足元の金市場が表しているのは、織り込めない地政学リスクの長期化ということだろう。金価格に乗った地政学リスクプレミアムは剥がれることはないと思われる。

すでに始まっていた冷戦時代

「有事の金」という言葉がある。軍事的な衝突が勃発した際に金市場が反応して上昇することを指す。しかし、一方で、切り上げた水準を長く維持できないというのが経験則となっている。東西冷戦終了後の過去30年余りの間に起きた、いわゆる「有事」に対する金の反応は確かに例外なく短期で終了した。筆者の記憶には、数時間という例もある。今回のウクライナ危機はどうか。一言で表して「有事」の質が変わったということだろう。米国でトランプ政権がスタートした2017年以降、米中貿易摩擦が激化したのは記憶に新しい。双方が子供の喧嘩のように相互に報復関税を掛け合う姿を、世界中があっけにとられて見守ることになった。貿易以外にも、中国が南シナ海に人工島を作っては領土化し、軍事拠点を設ける動きに米国はじめ多くの国々が反発し、緊張が高まった状況が続いている。いわゆる米中冷戦は既に始まっていた。それでも1990年代以降のグローバル化の流れの中で、世界経済の中にがっちりと組み込まれた形の中国の存在は大きく、また中国自体も米国はじめ世界との依存性は高い。

流れの変化と金を見直す動き

ところが今回のロシアによるウクライナ軍事侵攻は、核保有国が力ずくで国際秩序の変更を図ったという点で、まさに盲点を突くような出来事になった。「西側」という言葉が久々に復活したが、核戦争につながりかねないことから軍事的な対応が難しい主要国は、過去最大級の経済制裁に乗り出したのは御存じのとおり。これにより、仮にロシアの軍事攻勢が止んだとしても制裁は長期化することになりそうだ。グローバル化の終えんといえ、世界の分断化は進みサプライチェーン(資材など供給網・物流)の再構築が必要となる。そこには、おのずと中国を念頭に置いたものを考慮する必要が生まれる。組み直しの間には、当然流れは停滞することから、一定のインフレ環境は続くことになりそうだ。ここまで潤沢な資金をコストゼロ(ゼロ金利)で調達出来た時代は、とうに終わり「引き潮」の時間帯に入る。「引き潮」が意味するのは「停滞」となる。その中で、インフレ傾向は続く。この流れを作ったのがまさにウクライナ危機で、時代の転換点との位置づけになる。金融市場では、世界の富裕層を顧客に持つスイスなどのプライベートバンクが2月以降、金ETF(上場投資信託)を通し金の組入れを増やしていることがデータで明らかになっている。一過性でない金を組み入れる動きが続きそうだ。感覚としては「新有事の金」ということか。

マーケット・ストラテジィ・インスティチュート代表取締役
金融・貴金属アナリスト亀井 幸一郎(かめい こういちろう)氏
亀井 幸一郎(かめい こういちろう)氏

1979年中央大学法学部卒業。山一證券入社
87年投資顧問会社MMIにて証券および金市場分析レポートを担当、92年国際的な金の広報調査機関ワールドゴールドカウンシル入社。企画調査部長として経済調査、金市場のマーケット分析に従事。1998年独立し分析、評論活動に入る。「史観と俯瞰」をモットーに金融市場から商品市場、国際情勢まで幅広くウオッチしている。日本経済新聞、日経ヴェリタス、日経CNBCテレビ、ラジオNIKKEI等でのコメント、市場分析のほか、時事通信社「アナリストの目」「Gold Daily Report」、日本金地金流通協会ウェブサイト、市況解説など定期寄稿中。